スクールランチは学びの場でもある
中附のスクールランチは、中学校が開設された2010年から始まりました。スクールランチの時間は、年間で15回ほど。中学校舎の地下1階にあるランチルーム(座席数は約100席)が、生徒が食事をする場所となるため、各クラスごとにスクールランチの日が異なっています。今日はスクールランチの日となると、4時間目にそのクラスの生徒はランチルームに移動して、クラスのみんなが同じメニューを食べることになるのです(食物アレルギーがある生徒には、別メニューで対応しています)。
でも、このスクールランチは、みんなで同じメニューを食べる場、というだけのものではありません。スクールランチは、中附生にとって、学びの場の1つでもあるのです。では、スクールランチが学びの場であるとは、どういうことでしょうか?
中附の学びが目指すものとは?
中附での学び。――その目指すところは、私たちが生きる社会に存在する様々な問題に気づき、その問題が生じた原因や理由について調べ、考え、そして、その問題を解決するための方法を探ろうとする態度や姿勢を身につけることです。
そうした力を育むための第1歩は、私たちの身のまわりにあって、それが何となく「当たり前」に思えるものに対して、「なぜそうなのか?」と問うてみることから始まります。「なぜ?」「どうして?」と「問う」ことが、「考える」ための第1歩となるからです。
例えば、学校には、時間割があります。「当たり前」ですよね。でも、立ち止まって、考えてみましょう。「どうして時間割があるのだろうか?」と。あるいは、日本中の中学生が、数学の授業では方程式や関数を勉強しています。それって、「当たり前」のことなのでしょうか?[*みなさんも、考えてみてください ⇒ 答えは下の方に!]
私たちの身のまわりにある様々なものについて、それらを「当たり前」なものとしてやり過ごすのではなく、立ち止まって、「どうしてそうなのだろう?」と考えてみる姿勢や態度。それを身につけることが、中附における学びの第1歩なのです。そして、中附のスクールランチとは、そのためのレッスンの場でもあります。
料理は人間の知恵が作り上げた文化である
中附のスクールランチで提供される定番メニューは、日本各地の郷土料理や世界各国の郷土料理です。スクールランチのメニューに登場したことはありませんが、「長崎ちゃんぽん」という料理を、ここで取り上げてみましょう。――その名の通り、長崎県の郷土料理です。では、「長崎ちゃんぽん」とは、何なのでしょうか?
野菜くずや肉の切れ端など、たくさんの具を炒め、そこにコシのある中華麺を入れて濃い目のスープで煮こんだ、ボリュームのある麺料理。――長崎ちゃんぽんのルーツと言える料理を作ったのは、新地中華街から少し外れたところにあった「四海樓」(しかいろう)という中華料理店の店主だと言われています。
では、「野菜くずや肉の切れ端」が使われたのは、なぜでしょうか? ――それは、経済的に苦しい状況にある中国人留学生たちに、「安くて」「栄養があって」「ボリュームもある」料理を提供してあげたい、という店主の知恵と工夫でした。そして、そんな料理が考えられたのは、明治30年代の前半のこと――。その少し前に、日清戦争があり、日本に敗れた清国(中国)の側では、「日本に学べ」という風潮が高まって、日本への留学生が急増していたのです。
江戸時代の長崎は、日本で唯一の海外貿易都市であり、中国からの船も多く来航しました。明治期には外国人居留地が設置され、その一角が新地中華街として発展していくことになるのです。「四海樓」で、のちに「ちゃんぽん」と呼ばれる麺料理が誕生した頃には、中国人留学生の数が100人を超え、それから10年も経たないうちに約8000人にまで膨れ上がったと言われています。
こうした長崎の歴史と風土が、「長崎ちゃんぽん」という料理を生みました。郷土料理とは、それぞれの地域の気候や風土、そして地理的・歴史的な条件などを背景として生まれ、食べ継がれてきたものでもあります。それは、人間の知恵が生み出したものであり、その料理の向こう側には、その料理が生まれるまでの歴史やドラマが存在するのです。
料理の背景にあるものを言葉にすること
中附のスクールランチでは、その回ごとに発表者が決められていて、担当となった生徒たちは「いただきます」の前に、その日のメニューについてプレゼンテーションを行います。では、何をプレゼンするのでしょうか?
それは、「料理の背景にあるものについて」です。――つまり、その料理を生み出した風土や、その料理に込められた先人の知恵や、その料理のいわれや歴史など、その料理の向こう側にあるものを言葉にして、クラスメイトに伝えることが、発表者の役割となります。食べ物としての味を味わうだけでなく、その食べ物の背景としてある文化や歴史に触れること。それが、中附のスクールランチの時間なのです。
目の前に出された料理を、何となく口にして、何となくお腹がふくれたら、「ごちそうさま」。スクールランチとは、それだけのものではありません。まずは、楽しく、美味しく食べることが大切です。でも、それに加えて、目の前にあるメニューに対して興味や関心を抱き、そのメニューの背景として存在する地理や歴史、人間の知恵や工夫について考え、調べてみること。そして、自分が得た知識を、きちんとした言葉でクラスメイトに伝えること。――そういうことをレッスンする場が、中附のスクールランチでもあるのです。
社会への興味や関心につなげていく場
日本各地の郷土料理や世界各国の郷土料理が、スクールランチのメニューとして主に選ばれるのですが、ヴィーガン料理がメニューとして登場したこともありました。ヴィーガンとは、厳格なベジタリアン(菜食主義者)で、肉・魚介類、卵・乳製品など、あらゆる動物性食品を食べない、という立場の人たちです。
ごはんなどの主食を基本に、肉、魚、野菜などを組み合わせた、バランスの良い食事を心がけることが大切なのは、言うまでもありません。では、ヴィーガン・メニューがスクールランチに選ばれた意味は何でしょうか? ――それは、私たちが普段、牛や豚や鶏、あるいは色んな魚の命をもらっているのだということを、あらためて考えてほしかったからです。
他の動物や魚の命をもらって、私たちは生きています。では、私たちが「生きることの意味」は、何なのでしょうか? あるいは、地球という惑星の生態系の中に存在する一員であり、食物連鎖の頂点にいる存在として、私たち人間はどのような判断・選択をしていくべきなのでしょうか? ――そうした問いは、哲学という学問や、環境学や生態学といった学問が扱う問題でもあります。
中附のスクールランチは、もちろん、美味しく、そして友だちと楽しく食べることが大事です。でも、それだけでなく、スクールランチが生徒たちにとって、社会のさまざまな問題に興味・関心を持つきっかけに、そして、それらの問題について考えるような学問と出会うきっかけになってほしいと思っています。
*明治になって、日本は近代的な国家を作り上げようとします。そこで必要となってくるのは、時計にしたがって行動することのできる人間でした。それは、なぜでしょう? 例えば工場での仕事を考えてみると、分かりやすいと思います。
工場では、みんなが決まった時間に仕事をスタートさせ、みんなが決まった時間に休みを取ることが必要です。勝手に遅れてくる人がいたり、みんながバラバラに休みを取ったりしていては、困りますよね。会社や工場で働くということは、時計にもとづいて働くということでもあるわけです。
だから、学校には時間割があって、その時間割にもとづいた学校生活を送ることが求められます。学校生活を通して、決められた時間割にしたがって行動できるような感覚を身につけること――。そこには、工場や会社で働く人間を育てるという意図が含まれてもいたのです。
*日本では、文部科学省によって定められた学習指導要領があって、小学校・中学校・高校の各学年で、それぞれの教科・科目がどのようなことを学習するのかを定めています。また、学校で使う教科書は、この学習指導要領にもとづいて編集されているため、特に公立の小学校や中学校の場合は、日本のどこにいて、どの教科書を使用しても、基本的に同じ学年なら同じ内容を学習することになるわけです。
では、日本中の小学生や中学生が、同じような内容を学習するのは、当たり前なのでしょうか? 日本ではそれが「当たり前」ですが、海外においては、それぞれの地域や学校で教える内容が異なるようなケースも存在します。
イギリスも、1988年まではそうでした。でも、イギリスは日本を参考にしたりして、どの学校でも国が決めた内容を教える方向に転換しました。この、国が定めた教育課程の基準を、ナショナル・カリキュラムといいますが、日本で言えば学習指導要領に相当するものだといえるでしょう。
投稿 中附中のスクールランチについて は 中央大学附属中学校・高等学校 に最初に表示されました。